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釧路地方裁判所 昭和29年(行)6号 判決 1957年2月27日

原告 杉原春夫 外一名

被告 中標津町公平委員会

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「北海道教育委員会が原告等に対してなした各免職処分につき原告等が審査請求をしたのに対し、被告が昭和二十九年三月三十一日付でした各判定処分を取消す、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、原告等は北海道公立学校教員として、原告春夫は昭和二十五年三月三十一日から、原告信は昭和二十二年九月三十日からいずれも標津郡中標津町武佐中学校に奉職していたものであるところ、北海道教育委員会は昭和二十七年八月十五日原告等が教職に必要な適格性を欠くことを理由に地方公務員法第二十八条第一項第三号により免職処分にしたが、原告等はこれを不服とし、同年九月九日北海道人事委員会に対し審査請求をしたところ、その後教育委員会法第八十八条第三項第七十四条により中標津町教育委員会が道教育委員会から教育事務を引継いだので、本件審査は被告においてすべきこととなつたが、被告は昭和二十九年三月三十一日右各免職処分を承認する旨の判定をした。しかしながら、北海道教育委員会(以下「原処分者」という)のした免職処分は、いずれも、第一、一方的に認定した虚構の事実に基き原告等の不適格性を判断し、第二、労働基準法第二十条所定の解雇予告の除外事由の認定手続を得てないから同法に違反し、第三、北海道条例昭和二十七年第六十号北海道職員の分限についての手続及び効果に関する条例第二条第三項(「任命権者が地方公務員法第二十八条第一項第三号の規定に該当するものとして職員を降任又は免職する場合は当該職員をその現に有する適格性を必要とする他の職に転任させることのできない場合に限るものとする」。)所定の転任措置をとらず同条例に違反するから違法であり、これを承認した被告の判定処分も同様の理由で違法であるから、これが取消を求めるため本訴請求に及んだと述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、答弁として、原告等の主張事実中原処分者のした免職処分が、原告等主張のような理由で違法であり、従つてこれを承認した被告の判定処分も同様の理由で違法であるとの点は否認し、その余の事実は認める。

第一、被告が原処分者の免職処分を承認し、原告等が教職に必要な適格性を欠くものと認めた理由は次のとおりである。

一、原告春夫について

(一)  教育の内容、方法に逸脱過激な傾向があつた。

(1) 当時世上に論議の多かつた日本と占領国との講和条約問題につき、授業中生徒にいわゆる全面講和論を強調し、更に朝鮮休戦問題につき米国が休戦の成立を妨害して日本に軍事基地を作りつつある旨、再軍備問題につき真に国を守るための軍備なら必要だが今のは米国と共に戦うためのそれであるからよくない旨、生徒の共産軍が日本に攻め入つたときどうするかとの問に対し、ソ連でも中国でも日本を攻めるといつたことがあるか、日本を攻めるのは米国だ日本は不識のうちに米国にとられかけている旨、それぞれ強調した。

(2) 共産党で構成された劇団前進座の興行に、授業を一単元に切上げて生徒を引率観覧させ、又劇団どんぐり座の興行にあたり、共産党のためになる劇団が来ているから、学芸会に出演する者は舞台裏を見に行くよう勧める等の行為があつた。

(3) 作文の指導に逸脱の傾向があつた。

(4) 昭和二十七年四月二十四日頃授業中、後記出版物「平和と独立」を生徒に回覧し、警察が伊藤先生(原告信を指す)から持つていつたのはこの新聞である旨説明した。

(5) 昭和二十六年春頃中標津町役場武佐駐在所吏員が、部落民に対する納税督促書を便宜その子弟である武佐中学校生徒に託した際、たまたま開封して内容を見た生徒に、原告信とともに、現在の生活では滞納するのが当り前だ、このように人道上許せない方法で取立てねばならぬような税金は納める必要がない旨話した外、生徒にしばしば同趣旨の話しをし反税教育をした。

(6) 生徒に対し、しばしば殴る、蹴る等の体罰を加えた。

(7) 当時札幌市で発生したいわゆる白鳥事件について、授業中生徒に白鳥警部が殺されたのは当り前だ、殺されても誰ひとり同情する者はいない旨教えた。

(8) 後記昭和二十七年四月二十二日の武佐中学校捜索事件について、今度警察が来たら石をぶつけるよう生徒に訓話した。

右の行為を総合すると、教育の内容方法に逸脱過激の傾向があつたというべく、ひいては父兄の学校教育に対する信頼を失わしめたものというべきである。

(二)  武佐中学校捜索事件発生後、反省の態度なく事実をわい曲誇張して父兄及び部落民を刺戟し、学校に対する信頼感を失わせた。

(1) 昭和二十七年四月二十二日早朝中標津警察署員十名が昭和二十五年政令第三百二十五号違反被疑事件の適法な捜索差押令状に基き武佐中学校、原告春夫方及び原告信方をそれぞれ捜索した(以下これを単に「事件」という)際、同署員より警察手帳及び右令状の提示を受け、もつて警察官たることを確認しながらこれに抵抗し、折から登校した生徒の前を憚らず、終始「無頼漢」「売国奴」等の罵言を浴びせ、かつ、その直後朝礼の際生徒に、今度警察が来たら石をぶつけるよう訓話した。

(2) 原告信とともに、翌二十三日武佐中学校職員一同の名で、右捜索につき、それが無頼漢の乱入であつて、生徒を戦争から守るべく命をかけて教育している同校職員に対する弾圧であるから、身をもつてこれを阻止し退散させた旨の校下父兄宛印刷物(乙第四号証)を多数作成し、生徒を通じ父兄に配付した。

(3) 原告信とともに、同月二十六日開かれた部落大会の席上右印刷物と同内容の発言をし、更に無頼漢に石をぶつけることは正当防衛であり、これを生徒に教えるのが教員の任務である旨発言して部落民を刺戟し、学校に対する信頼感を失わせ、大会出席者の多数をもつて学校不信任の決議をさせるに至らせた。

(4) 原告信とともに、事件につき情報を他に提供し、右(2)(3)と同趣旨並びに事件の発生及び部落大会における不信任決議は、いずれも学校の民主的方針に不満をもつ一部の部落民が、政府の戦争政策に奉仕する警察、教育委員会、役場と結託して、先生を追放し平和教育を弾圧すべく企図した陰謀である旨の、原告等の立場をすべて正当化する過激な内容の印刷物(乙第五、第六号証等)を多数発行させ、これらを生徒を通じてひん繁に父兄に配布した。

(5) 同年七月一日修学旅行のため札幌市へ赴いた際、原告信とともに、生徒を引率して北大平和の会主催の懇談会に出席し、右(2)ないし(4)と同趣旨及び事件後の父兄、教育委員会の態度を非難する演説をした。

(6) 同月十八日札幌市民会館での大山郁夫歓迎大演説会に出席し、右と同趣旨の演説をした。

以上の行為を総合すれば、原告春夫は、全く虚偽の事実ないし故意にわい曲誇張した事実を生徒父兄部落民及びその他の者に発表し、いたずらに父兄及び部落民を刺戟し、自ら教員としての信頼を失つたばかりでなく、学校職員全体に体する信頼感を失わせたものといわざるをえない。

(三)  上席教諭として校長補佐の責に任ずべき地位にあり、かつ、昭和二十七年度修学旅行の引率責任者でありながら、右責務をいずれも欠いた。

(1) 修学旅行を実施するには予め道教育委員会の承認を要する(北教委昭和二十七年三月十五日指一五四号通達「学校において行う修学旅行の実施基準について」)にかかわらず、右承認を受けず、同年六月二十九日から七月三日まで修学旅行を実施した。

(2) 右修学旅行の実施基準によれば、生徒三十名につき引率職員一名の割合とされているのに、自己及び原告信外一名の計三名で生徒九名を引率した。

(3) 採用許可のない吉田清正をして同年六月二十一日から同年七月二十二日まで生徒教育に当らせ、右期間中前記修学旅行の引率者たらしめた。

(4) 原告信とともに、右旅行中生徒を一時右吉田のみに委ね、又前記(二)(5)の懇談会に長時間同席させる等、旅行中の生徒の保護管理に当を欠いた。

(四)  人格的に教育者の適格性を欠いている。

(1) 前記修学旅行に関し、原処分者の調査に対して虚偽の事実を述べ、前記大山歓迎演説会への参加についても虚偽の報告をし、又前記(二)のように、虚偽ないしわい曲誇張した事実を教え、報告し、宣伝の資に供する等、その言動に信を措きがたい。

(2) 事件後問題の解決のため、原処分者との間に行われた数次の会談の席上、「たとい身を八つ裂にされてもこの地を去らない。私がこの地を去ることは、日本を戦争に突入させる時間を早めるだけだ。」「おやじはおやじだ、おやじが野たれ死してもかまわぬ。」等倫理性を疑わせる放言をした。

以上の(一)ないし(四)の各事由を総合すると、原告春夫は教職に必要な適格性を欠くものというべきである。

二、原告信について

(一)  「平和と独立」等発行停止処分を受けていた出版物を多数所持した。

昭和二十七年四月二十二日武佐中学校及び原告方等が、中標津警察署員に捜索された際、発行を無期限に停止された出版物「平和と独立」「球根栽培法」等の外、日本共産党関係の機関紙を多数所持していた。

(二)  教育の方法、内容に逸脱過激な傾向があつた。

(1) 授業中又は放課後生徒に、しばしば共産党支持の発言をし、偏向教育をした。

(2) 作文、図工の指導にあたり、原告の欲する偏向的な題目を押つけ、かつ、その作品を原告の意図するままに加筆訂正し、生徒の自主的な創作活動を妨げた。

(3) 原告春夫に対する前記(一)(5)のとおり、同原告とともに反税教育をした。

(4) 前記(一)記載の出版物は、捜索によりその際全部押収されたにかかわらず、その後同年四月二十四日同種印刷物をどこからか持ち来り、生徒に回覧した。

(三)  事件後反省の態度なく、原告春夫とともに、事実をわい曲誇張して父兄及び部落民を刺戟し、学校に対する信頼感を失わせた。

(1) 原告春夫に対する(二)(2)のとおり、事件に関し、武佐中学校職員一同名義の印刷物(乙第四号証)を多数作成し、生徒を通じ父兄に配付した。

(2) 右同(二)(3)のとおり、部落大会の席上過激な発言をし、部落民をして学校不信任の決議をさせるに至らせた。

(3) 右同(二)(4)のとおり、情報を他に提供し、過激な内容の印刷物(乙第五、第六号証等)を多数発行させ、生徒を通じひん繁に父兄に配布した。

(4) 同年五月上旬修学旅行に参加を勧誘のため、生徒の家庭を訪問した際、前記(一)記載と同種の印刷物を、一部の父兄に配付した。

(5) 原告春夫に対する(二)(5)のとおり、北大平和の会主催の懇談会に出席し、その記載のような演説をした。

(6) 同年八月六日札幌市における平和反戦大演説会において、又同年九月十九日根室町劇場での劇団前進座の公演の幕間に、いずれも右と同趣旨のせん動的な演説をした外、他の機会にもしばしば同趣旨の演説をした。

以上の行為を総合すれば、原告信は、同春夫とともに、全く虚偽の事実ないし故意にわい曲誇張した事実を生徒父兄部落民及びその他の者に発表し、いたずらに父兄及び部落民を刺戟し、自ら教員としての信頼を失つたばかりでなく学校職員全体に対する信頼感を失わせたものといわざるをえない。

(四)  学級担任者としての責を果さなかつた。

修学旅行実施にあたり、担任生徒中家庭で許可しない者を強いてこれに引率し、又旅行中の生徒の保護管理に当を欠いた。

(五)  前記(三)(6)記載の平和反戦大演説会への出席の経緯につき、自己を指導監督する地位にある者に対し、虚偽の回答をした。

以上の(一)ないし(五)の各事由を総合すると、原告信は教職に必要な適格性を欠くものというべきである。

第二、原処分者が原告等を免職処分に付するにあたり、労働基準法第二十条所定の解雇予告除外事由の認定手続を経てないことは認めるが、原処分者は、昭和二十七年六月二十三日原告等に対し、同年七月三十日限り退職するよう勧告すると同時に、もし右期日までに退職しなければ、免職処分に付する旨通告し、解雇の予告をした。仮に、右が退職勧告のみであつて、明確な解雇予告の意思表示を含んでなかつたとしても、それは、原告等が校長を通じて原処分者に対し、右期日までに退職することを申出たためであつて、解雇予告制度の趣旨が、労働者を不用意な状態において突然解雇されることから守る点にある以上、右のように法定の予告期間を超える期間を自ら定めて、その期間内に退職する旨申出た場合には、右期間を経過後これを解雇するのに改めて予告期間を置く必要はないと解すべきである。又、もし右が理由がないとしても予告期間を置かずにされた解雇処分は無効ではなく、単に処分者において、予告期間に相当する期間の平均賃金の支払義務を負担するにすぎず、仮に解雇処分が無効としてもその処分の通知は解雇予告の効力を有し、爾後法定の予告期間の経過により、当然解雇処分の効力を生ずるものと解すべきである。本件処分はそもそも労働基準法第二十条第一項後段所定の、労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合ではないのであるが、仮に右の場合に該るとしても、前記のように予告期間をおくときは、あえて原告等主張のような、除外事由認定の手続を必要としないことはいうまでもないから、なんら違法ではない。

第三、原処分者北海道教育委員会は、当時、中標津町教育委員会が成立するまでの間、同委員会の職務を代行していたもので、原告等は中標津町の職員であるから、北海道条例昭和二十七年第六十号北海道職員の分限についての手続及び効果に関する条例第二条第三項にいう「他の職」とは、同町内の他の職の意に解すべきところ、原告等は前記第一の各事由より考えて、当時、同町内の他のいかなる職にも転ずる適格性をもたなかつたものである。しかし原処分者は、原告等が道内の他の地に転じ、反省して教職にはげむならば、原告等のためあえてこれを免職処分にするまでもないとも考え、転任を勧告したのであるが、原告等がこれを拒否したため、止むなく本件処分に及んだものであるから、なんら違法ではない。

と述べた。(立証省略)

理由

原告等がいずれも北海道公立学校教員として、原告春夫は昭和二十五年三月三十一日から、原告信は昭和二十二年九月三十日から、標津郡中標津町武佐中学校に奉職していたこと、北海道教育委員会が昭和二十七年八月十五日原告等が教職に必要な適格性を欠くことを理由に、地方公務員法第二十八条第一項第三号により、原告等を免職処分にしたこと、原告等がこれを不服とし、同年九月九日北海道人事委員会に対し審査請求をしたところ、その後教育委員会法(昭和二十三年法律第百七十号)第八十八条第三項第七十四条により中標津町教育委員会が道教育委員会(以下単にこれを「原処分者」という)から教育事務を引継いだので、被告において本件審査をすべきこととなつたこと及び被告が昭和二十九年三月三十一日右各免職処分を承認する旨の判定をしたことはいずれも当事者間に争いがない。

第一、原告等の各処分事由についての判断

一、原告杉原春夫

(一)  教育の内容、方法に逸脱過激の傾向があつたとの点

(1) 授業時間中の全面講和論強調、反米好ソ説話

成立に争いのない甲第八号証の二(武佐中学校生徒会誌「いらくさ」第二号)中、清原日出夫の「平和はどうしたら守られるか」、児玉宗光の「平和を求める人々」、工藤正の「平和を求める人々」と題する作文の部分、甲第九号証(日本教職員組合編平和を求める生活作文「ぼくにもいわせて」)中、田中知恵子の「おじちやんのこと」と題する作文の部分、に証人竹内啓の証言を総合すれば、被告主張のように、原告が授業中生徒に、当時世上に論議の多かつた日本と占領国との講和条約問題につきいわゆる全面講和論の正当なことを強調し、中国インドなどアジア諸国やソ聯を除いた講和条約は日本に真の平和をもたらさない旨教え、又朝鮮休戦問題につき米国軍が朝鮮につめかけて休戦の成立を妨害した旨再軍備問題につき戦争によつて利益を得る者が日本の政治を握つていて、それらの者が米国と結んで戦争を起そうとしている、そのような戦争のための軍隊であるからよくない旨それぞれ強調した事実を推認するに難くない。原告春夫に対する本人尋問の結果中、右は生徒から原告自身の意見を求められたのに対し、止むをえず答えたにすぎず、生徒に原告の考えを押しつけたものではないとの供述はにわかに措信できない。原告が更に、米国は日本に軍事基地を作りつつあり、日本は不識のうちに米国にとられかけている旨生徒に強調したとの被告主張の事実はこれを認めるに足る適確な証拠がない。しかして、右のような多分に政治的な問題につき、思想的人格的に未だ幼い生徒に、或る特定の立場の正当なことを強調し、その立場に基いて種々発言することは、たとえ主観的には生徒を戦争から守る信念に出るものであつても、生徒に対する影響力を考えれば、真に生徒の人格を尊重しこれを育てはぐくむゆえんとは考えられない。教育者は、生徒の裡に持つ可能性がいわば無限のものなることに思いを致しこれに謙虚に対すべきものであつて、原告の右発言は正しい教育方法を逸脱したものといわねばならない。

(2) 前進座興行に生徒引率、どんぐり座興行に生徒勧誘

証人富岡忠義の証言及び原告春夫に対する本人尋問の結果によれば、原告が共産党員で構成された劇団前進座の地方興行にあたり土曜日の授業を一単元くり上げて生徒をこれに引率し観覧させた事実をうかがうことができるが、右は文化的に恵まれぬ生徒に有名劇団に接する機会をもたせ、学校劇の参考にもしたいとの教育目的に出たものと認められ、原告において他意あつたことを認めるに足る証拠はない。又、証人小沢正義の証言によると、当時、部落青年団において釧路市から招いた劇団「どんぐり座」が夜間興行をした際、武佐中学校の一部生徒がこれに入場した事実を認めることができるが、原告において、共産党のためになる劇団であるとして生徒に観覧を勧めた事実を認めるに足る証拠はない。

(3) 作文指導に逸脱の傾向

成立に争いのない甲第八号証の二(武佐中学校生徒会誌「いらくさ」第二号)及び甲第九号証(日本教職員組合編平和を求める生活作文「ぼくにもいわせて」)に証人土屋文男の証言を合せ考えると、原告の直接もしくは間接の指導によるものと認られる、右甲号証中の前記(1)に掲記の各作文は、程度の多少はあるが、そのすべてが生徒自らの生活体験の卒直な表現とは認めがたく、これら作者年令層のもつ通常の思考、体験の程度をはるかに上まわるものと考えざるをえない点及びその文体、発想方法に類似点極めて多く、児童の作文に通常見られる個性的な傾向が殆んど感ぜられない点を合せ考えると、これらの作文には、直接又は間接に相当程度原告の加筆訂正が加えられているものと認められ、しかして、このように生徒の自主的創作を妨げ、その個性を無視した加筆訂正が、作文教育の正当な方法を逸脱したものであることは明らかである。

(4) 「平和と独立」を回覧

証人中司忠仁、清原庄太郎の各証言及び原告春夫に対する本人尋問の結果を合せ考えると、原告は後記認定の武佐中学校捜索事件直後の朝礼において、生徒に、右捜索に関し後記認定のように訓話し、原告信において押収された「平和と独立」を後程回覧するから見るよう述べ、その後間もなく、何処からか右出版物をもち来り、授業中生徒にこれを回覧し、警察が伊藤先生(原告信を指す)からもつていつたのはこの新聞であるが、これは不法な出版物でない旨の説明をした事実を推認することができ、右本人尋問の結果中右の認定に反する部分は措信しない。原告のこのような行為が、教育上甚だ好ましくないものであることは明らかである。

(5) 反税教育

被告代表者尋問の結果及び証人清原庄太郎の証言を総合して成立の真正を推認しうる乙第九号証の二(部落大会議事速記録)に証人畑正志、畑英子、富岡忠義、小形秀夫の各証言並びに原告両名に対する各本人尋問の結果を総合すると、昭和二十六年頃中標津町役場武佐駐在吏員畑正志が、六、七回にわたり、便宜部落民に対する滞納税金督促書を入れた封書を、同人の娘であり武佐中学校の教員であつた畑英子を通じ、部落民の子弟である生徒に託したことがあり、うち一、二回は不用意に封書を糊づけしないで生徒に手渡されたため、受けとつた原告信のクラスの二、三の生徒及び居合せた生徒が、たまたま封書の内容をとり出して見合うこととなり、その結果、お前の家は貧乏だから税金も払えない等と云い合い、果てはそれら封書を受けとつた生徒が悲しんで泣き出す騒ぎとなつたため、これを取り静め、かつ、右の生徒を慰める目的で、原告が、原告信とともに、農家は現在皆困つているので、滞納することも止むをえないのだから、督促書の来た人をいじめてはいけない旨皆に教えた事実を認めることができる。原告が更に、被告主張のような言辞をもつて反税を説いた事実を認めるに足る適格な証拠はない。原告の右行為は、その目的内容からみてこれをあえて反税教育ということはできない。

(6) 体罰

証人湯田貢、山地秀吉、小沢正義、清原庄太郎の各証言によると原告が生徒星喜八の頬をたたいたことのある事実をうかがうことができるが、右湯田証言及び原告春夫に対する本人尋問の結果を合せ考えると、星喜八は、実親に早く別れたためもあつて粗暴な性質をもち、しばしば女生徒に手荒なことをするなど小学生当時からのいわゆる問題児であること、そのような度重なる乱ぼうの折、単に注意しただけでは到底同人が意に介しないため、これを実力で押止めるべき差迫つた必要から、同人の頬を一、二回たたいたものであることが推認される。しかして、右のような場合においては、原告の行為は教師として或意味で止むをえないものというべく、これをもつて原告を深くとがめることは醋に失する。前記清原の証言中、同人の子供日出夫が原告に後ろから蹴とばされたことを聞いているとの供述は、にわかに措信できず、他にも原告がしばしば体罰を加えたとの被告主張の事実を認めるに足る証拠はない。

(7) 白鳥事件に関する発言

被告主張のようなことを、原告が生徒に教えた事実を認めしめるに足る証拠はない。証人竹内啓の証言中には被告主張の事実をうかがわしめる部分もあるが、たやすく措信することはできない。

(8) 警察官に石をぶつけるよう訓話

前顕乙第九号証の二、成立に争のない乙第八号証に証人清原庄太郎、安達武蔵、中司忠仁の各証言を総合すると、後に認定のように武佐中学校が中標津警察署員に捜索された際、原告は、折から登校中の生徒の前で、警察官を終始大声で「暴漢」「売国奴」呼ばわりして捜索を妨害し、捜索を終え引上げる警察官を生徒に指し示し、再び来るかもしれぬから顔をよく覚えておくよう叫び、又その直後朝礼で、暴漢の乱入を阻止することは正当防衛だから、今度来たら石でもぶつけて抵抗するよう訓話した事実を認めることができる。原告春夫に対する本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できない。右の様な原告の言動が、教育上極めて好ましくないものであることは明らかである。

以上の(1)、(3)、(4)、(8)の各事実を総合すれば、原告の教育の内容方法には、多分に逸脱過激な傾向があつたものといわなければならない。

(二)  武佐中捜索事件後反省の態度なく、事実をわい曲誇張し、父兄及び部落民を刺戟して学校に対する信頼感を失わせたとの点

成立に争いない乙第四号証、乙第五、第六号証、成立に争いない乙第七、第八号証、証人清原庄太郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第九号証の一、二、成立に争いない乙第十二号証、証人土屋文男の証言により真正に成立したものと認められる乙第十八号証、証人黒島弘文の証言により真正に成立したものと認められる甲第十号証に証人清水輝一、富岡忠義、畑正志、畑英子、清原庄太郎、安達武蔵、菅原栄、横田俊夫、池田清五郎、村上賢次の各証言及び原告両名に対する本人尋問の結果を総合すると、原告は、

(1) 昭和二十七年四月二十二日早朝中標津警察署員十名が、昭和二十五年政令第三百二十五号違反被疑事件(被疑者不明)の適法な捜索差押令状に基き、右令状に指定された武佐中学校、原告方及び原告信方をそれぞれ捜索した(以下単にこれを「事件」という)際、右捜査官から警察手帳及び右令状の提示を受け、警察官であることを確認しながら、折から登校した生徒の前を憚らず、終始これに「無頼漢」「売国奴」等の罵言を浴びせて捜索を妨害し、かつその直後の朝礼において生徒に、暴漢の乱入を阻止することは正当防衛だから、今度来たら石でもぶつけて抵抗するよう訓話した。

(2) 翌二十三日、原告信とともに、武佐中学校職員一同名義で、「昨二十二日の無頼漢学校乱入についてお知らせ申しあげます」との文言に始まり、右捜索は、生徒を戦争から守るべく命をかけて教育にあたつている同校職員に対する弾圧であるから、生徒と一体となり身をもつてこれを阻止し退散させた旨の校下父兄宛の印刷物(乙第四号証)を多数作成し、生徒を通じて父兄に配付した。

(3) 右事件の真相糾明のため同月二十六日開かれた部落大会の席上原告信とともに、右印刷物と同内容の発言をし、更に、無頼漢に石をぶつけることは正当防衛であるから、これを生徒に教えるのがまさに教師の任務である旨発言し、反省の態度なくもつぱら警察側を強く誹謗することに終始したため、出席部落民をして激昂させ、原告等両名が主として中心をなしている武佐中学校に対する信頼感を失わせ、出席者の大多数をもつて学校不信任の決議をさせるに至らせた。

(4) 原告信とともに、事件に関する情報を他に提供し、右(2)(3)と同趣旨並びに事件の発生及び部落大会における不信任決議は、いずれも学校の民主的方針に不満をもつ一部部落民が、政府の戦争政策に奉仕する警察、教育委員会、役場等と結託して、先生を追放し、平和教育を弾圧すべく企図した陰謀である旨の、原告等の立場をすべて正当化し、一方的に相手方に非を帰する過激な内容口吻の印刷物(乙第五号証「武佐中学校事件の真相―一九五二年四月二十八日現在」、乙第六号証「武佐中学校事件の真相、ふぶきをついて―中標津平和の会発行」等)を多数発行させ、生徒を通じてこれをひん繁に父兄及び部落民等に配布した。

(5) 事件後の事態収拾のため、同年六月二十三日頃、学校、教育委員会、町役場及び部落の各関係者が会して行つたいわゆる四者会談において、部落民から、問題解決まで本年度の修学旅行の実施を見合わせてほしい旨要望があり、校長もこれを承諾し、従つて原告等もこれを充分知りながら、同月二十九日該当者四十数名中当日参加した僅か九名の生徒を、原告信とともに引率し、札幌市に向け修学旅行を強行した。

(6) 右旅行中、原告信とともに、生徒を引率して北大平和の会が原告等修学旅行団のために主催した武佐中学校事件の真相発表懇談会に臨み、右(2)ないし(4)と同趣旨及び事件後の、原告等に対する父兄、教育委員会側の各態度を非難する演説をし、又生徒が同趣旨の発言をするのを容認した。

(7) 同月十八日頃、札幌市民会館で行われた大山郁夫歓迎大演説会に出席し、前記(2)ないし(4)及び(6)と同趣旨の演説をした。

との各事実及び

(8) 前記部落大会の際、道教育委員会根室事務局長から、部落民に事態の早期解決のために子供を登校させてほしい旨懇請があり、部落民もこれを納得したが、原告等がその後も右のように刺戟的な言動を慎まなかつたため、生徒の出席率は依然好転せず、特に六月に入り著しく低下し、部落民の原告等を指弾しその転任を望む声が高まり、このため授業は、事件後二月余に及ぶも平常に復さなかつた。

との事実をそれぞれ認めることができる。原告両名に対する各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しない。しかして又、前掲各証拠を総合すれば、原告の父である杉原春吉が、昭和二十二年武佐中学校に校長として赴任して以来、同人の比較的に合理的な教育方針、比較的潔白な生活態度が、部落の比較的に閉鎖的封建的と考えられる風潮と折合わず、殊に、武佐小学校長千葉信夫及び同人と意を通じ校長は従来の小学校長のみ居れば充分であるとの新教育制度に副わぬ考えを固執する一部部落民との間に、種々協調を欠いていたこと、事件発生前においては、部落民の原告等に対する不評判の事実は殆んどなかつたこと、事件発生により、右不満部落民が率先分子として、真相糾明の部落大会を開く運びに至らせたこと、大会ではこれら分子が主として発言し、原告等に偏向教育及び警察官に投石を命じた暴力肯定の教育の事実の外、確たる証拠に基かぬ反税教育の事実及び原告春夫が現に結核菌を放菌しつつ教壇に立つている事実ありと主張し、右各事実をもとにした信任投票を発議し、その結果出席者大多数で学校不信任の決議がされるに至つたこと、出席部落民中には、右発言者の主張を全面的に信じ、もしくはその場の雰囲気から発言者に追従して不信任票を投じた者も一部あつたことをそれぞれ推認することができ、従つて、右決議に至る責を、あげて原告等に帰することは酷に失すると考え得ないわけではないが、しかし右大会で示された部落民の意志は、単に一時的のものでなく、その後益々原告等に対する指弾の声が高まつたこと並びにそれが、部落大会での原告等の言動に起因するのみならずその後無反省にくり返された同人等の刺戟的言動に因ること前記認定のとおりであり、しかも、適法な捜索状の執行にあたつた警察官を無頼漢というをえないことはもちろん、右捜索が捜査官の独立した責任と判断に基くものであつたこと前顕清水輝一の証言により明らかで、又部落大会の開催並びに不信任決議が、一部の部落民により企図された原告等のいわゆる陰謀に基くことを認めしめるに足る証拠はないから、結局原告は、被告主張のとおり、事件後反省の態度なく、原告信とともにもしくは単独で、全く虚偽の事実ないし故意にわい曲誇張した事実を生徒父兄部落民及びその他の者に発表宣伝し、いたずらに父兄及び部落民を刺戟し、自ら教員としての信頼を失つたばかりでなく、学校職員全体に対する信頼感を失わせ、その結果、学校教育を相当長期間にわたり混乱状態におとし入れたものといわなければならない。

(三)  上席教諭としての責務を果さず、修学旅行引率者としての責任を尽さなかつたとの点

原告両名に対する各本人尋問の結果に本件口頭弁論の全趣旨を合せ考えると、原告が事実上上席教諭として、校長補佐の責任ある地位にあつたと認めるのを相当とするところ、いずれも成立に争いない甲第四号証の一、二、甲第十五、第十六号証の各一、二、乙第七号証(野村義彦の供述録取部分)、乙第十七号証、証人土屋文男の証言により成立を認める乙第十八号証、被告代表者尋問の結果により成立を認める乙第十九号証の二、に証人宮原将平、駒林菊松、竹内啓の各証言及び原告両名に対する各本人尋問の結果を総合すると、原告は、

(1) 中学校において修学旅行を行おうとするときは、出発予定日前十日までに道教育委員会地方事務局長宛、日程、参加人員など一定の事項を記載した旅行計画書を提出し、その認可をうけねばならないところ、同年六月二十五日頃電話で、前年度の旅行と日程その他同様の修学旅行を行いたい旨根室事務局に連絡し、昨年同様の条件ならば行つても差支えないが、文書を至急提出されたいとの回答を受取つたにかかわらず、文書未提出のまま、出発を予定した同月二十九日にいたり、前記(二)(5)に認定した事情から、僅か九名が参集したにすぎなかつたのに出発を強行し、七月三日まで修学旅行を行つた。しかして、文書は原告等の出発後七月四日にいたり校長から根室事務局に提出されたが、右旅行は参加人員僅少の上、残留生徒の指導管理の方法も具体的にとられていない点など旅行実施の目的に照し妥当を欠くため、同事務局は認可を拒否した。

(2) 生徒三十名につき引率職員一名の割合で修学旅行を行うべきものとされているところ、原告信及び吉田清正と計三名で生徒九名を引率した。

(3) 右旅行中原告信とともに、生徒を前記(二)(6)に認定の懇談会に長時間同席させ、終つて午後八時頃宿舎に引率し夕食を摂つた後も、右懇談会関係者の来訪をうけ、十二時過ぎまで生徒を就寝させなかつた。

との事実を認めることができる。原告両名に対する各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しない。しかして、右(1)については、出発予定日の僅か四日前に、しかも文書によらず電話で連絡したにすぎない点及び参加生徒数九名では修学旅行として認可されないであろうことが当然予想されるにかかわらず、出発を強行した点において、修学旅行に関する定めを恪守せず、上席教諭としての責務を欠いたものといわざるをえない。原告春夫に対する本人尋問の結果によると、出発にあたり校長がこれを許可した事実がうかがえるが、右のような旅行が教育上好ましくないものであることに変りなく、当然出発を見合わせるべきものであつたから、校長の許可を得た故をもつて原告に責なしとすることはできない。又右(3)については、旅行中の生徒の保護管理に当を欠いたものというべきであるが、(2)については、生徒と引率職員の割合に関する定めは、旅行中の生徒の引率指導に遺憾ないことを期する趣旨と考えられるので、生徒九名を引率するに職員三名をもつてしたこと自体は、必ずしもとがめられるべきことではない。なお、被告の主張事実中、採用許可のない吉田清正をして生徒教育にあたらせ、修学旅行の引率者たらしめたとの点は、前顕甲第十五号証の二、乙第十八号証、乙第十九号証の二に原告両名に対する各本人尋問の結果を合せ考えると、吉田清正は同校教員中司忠仁の発病退職にともないその後任として校長において道教委根室事務局の内諾のもとに採用したもので、右事務局の採否の正式の決定は後日に留保されたとはいえ、同年六月から七月にかけて生徒教育にあたり、又修学旅行の引率者となつたのも、右のような事情によるものと認められるから、必ずしも違法ということはできず、従つて又、原告が右の点につき校長補佐の責務を欠いたということもできない。修学旅行中、一時生徒を右吉田のみに委ねたことがある事実は、前記乙第十八号証により明らかであるが、右と同様の理由で、必ずしも旅行中の生徒の保護管理に当を欠いたものと速断することはできない。結局原告は、右(1)の点で事実上上席教諭として校長補佐の責務を果さなかつたものというべく、又(3)の点で修学旅行引率者としての責任を尽さなかつたものというべきである。

(四)  人格的に教育者の適格性を欠くとの点

前顕乙第七号証、同第八号証、甲第十六号証の一、二、成立に争いない乙第二号証に証人竹内啓の証言及び原告春夫に対する本人尋問の結果を合せ考えると、原告が、

(1) 前記修学旅行に関し、調査にあたつた道教育委員会当局に対し故意に事実を曲げて種々弁解し、前記大山歓迎演説会への参加については、出発前、道教委当局から、札幌においては右演説会に出席しないよう注意を受けたため、原告において、出席しない旨明確に回答したにかかわらず、言をひるがえしてこれに出席し、演説した。

(2) 事件後、前後策を検討のため、道教委吏員との間に行われた数次の会談の席上、辞職ないし転任の勧告を受けたことに激して、「たとい身を八つ裂にされてもこの地を去らない。私がこの地を去ることは日本を戦争に突入させる時間を早めるだけだ」。「おやじはおやじだ。おやじが野たれ死してもかまわぬ」等と発言した事実を認めることができる。原告春夫に対する本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しない。しかして右(1)については、これと前記(二)に認定の事実とを合せ考えると、原告には、虚偽ないしわい曲誇張した事実に基く言動が多いと認めざるをえず、又(2)については、転任勧告をうけて興奮した際の発言とはいいながら、その言辞自体極めて穏当を欠き、倫理性を疑われても止むをえない底のものである。これらを合せ考えると、原告は、人格的に教育者の適格性を充分に備えていないものといわざるをえない。

(五)  結論

以上の(一)ないし(四)の各事由を総合して考えると、原告は、教職に必要な適格性を欠くものと認めるのが相当であるから、原告に対する本件免職処分は、処分事由の点において何等違法はない。

二、原告杉原信

(一)  「平和と独立」等の発行停止文書の所持の点

前顕乙第七号証(清水輝一の供述録取部分)に証人清水輝一の証言及び原告信に対する本人尋問の結果を総合すると、原告春夫に対する前記(二)(1)のとおり、武佐中学校及び原告方等に対する捜索により、原告において、いずれも昭和二十五年政令第三百二十五号占領目的阻害行為処罰令に基き昭和二十七年三月二十四日から無期限に発行を停止された出版物である「平和と独立」合計八十七部(内訳、発行日の最も新しいと思われる第一一一号二十四部、以下順に第一一〇号二十六部、第一〇九号八部、第一〇八号二十五部、第一〇六号第一〇五号第一〇四号第九二号各一部)、「球根栽培法」四部、「家庭園芸」一部を所持していることが明らかとなり、これらが証拠物件として押収された事実を認めることができる。原告信に対する本人尋問の結果中、右各文書は、原告が、訴外菅原から一時保管を託されていたものにすぎないとの供述は、右各証拠により認められる捜索当時の諸般の情況に徴したやすく措信できない。

しかして、右各文書の発行行為には、頒布目的の所持を含むものと解すべきところ、右各文書特に、「平和と独立」第一一一号ないし第一〇八号及び「球根栽培法」の所持部数から考えれば、右は、原告が他に頒布する目的で所持していたものであることを容易にうかがうことができるから、原告の右所持は、連合国の占領目的を阻害する違法な行為であつたと認められる。

(二)  教育の方法、内容に逸脱過激の傾向があつたとの点

(1) 被告は、原告が授業中又は放課後生徒に、しばしば共産党支持の発言をした旨主張するが、これを認めるに足る適確な証拠はない。

しかし、原告春夫に対する(一)(1)掲記の各証拠を総合すれば、原告春夫と同様原告も授業中生徒に対し、右(一)(1)記載のようなことを強調した事実を推認することができ、しかしてそれが、正しい教育方法を逸脱したものと認むべきことは、原告春夫に対すると同様である。

(2) 原告春夫に対する(一)(3)掲記の各証拠を総合すれば、原告春夫と同様原告も、右掲記の各作文に対し、直接間接の加筆訂正を加えたものと認められ、しかしてそれが、作文教育の正当な方法を逸脱したものと認むべきことは、原告春夫に対すると同様である。原告が、作文、図工の指導にあたり、その欲する偏向的な題目を生徒に押しつけたとの被告主張事実は、これを認めるに足る適確な証拠がない。

(3) 原告春夫に対する(一)(5)に認定のとおり、原告の納税に関する教育は、その目的内容からみて、これをあえて反税教育ということはできない。

(4) 証人中司忠仁、清原庄太郎の各証言及び原告信に対する本人尋問の結果を合せ考えると、前記(一)に認定のとおり、同記載の出版物は、捜索によりその際全部押収されたにかかわらず、その後間もなく、同種出版物をどこからか持ち来り、右が何等不法な出版物ではないとの趣旨で、授業中生徒に回覧した事実を推認することができ、右本人尋問の結果中、右の認定に反する部分は措信しない。このような行為が、教育上甚だ好ましくないものであることは明らかである。

以上の(1)(2)(4)の各事実を総合すれば、原告の教育の内容方法には、教育目的を逸脱した傾向があつたものといわなければならない。

(三)  事件後反省の態度なく、原告春夫とともに、事実をわい曲誇張して父兄及び部落民を刺戟し、学校に対する信頼感を失わせたとの点

(1) 原告春夫に対する(二)(2)に認定のとおり、同原告とともに、事件に関し武佐中学校職員一同名義の印刷物(乙第四号証)を多数作成し、生徒を通じ父兄に配付した。

(2) 右同(二)(3)のとおり、原告春夫とともに、部落大会の席上過激な発言をし、部落民をして学校不信任の決議をさせるに至らせた。

(3) 右同(二)(4)のとおり、原告春夫とともに、情報を他に提供し、過激な内容の印刷物(乙第五、第六号証等)を多数発行させ、生徒を通じひん繁に父兄及び部落民等に配布した。

(4) 原告が、修学旅行に参加を勧誘のため、生徒の家庭を訪問した際、前記(一)に認定したと同種の印刷物を、父兄の一部に配付したとの被告主張事実は、これを認めるに足る確たる証拠がない。証人清原庄太郎の証言中、右事実に一部副うかのごとき供述があるが、にわかに措信できない。

(5) 原告春夫に対する(二)(6)のとおり、同原告とともに、修学旅行中北大平和の会主催の懇談会に出席し、同認定のような演説をし、又生徒が同趣旨の発言をするのを容認した。

(6) 証人富岡忠義、竹内啓の各証言及び原告信に対する本人尋問の結果によると、原告が、同年八月六日札幌市における平和反戦大演説会において、又同年九月十九日根室町劇場での劇団前進座の公演の幕間に、いずれも右(5)と同趣旨のせん動的な演説をしたことが認められる。原告が、右の外他の機会にもしばしば同趣旨の演説をしたとの被告主張事実は、これを認めるに足る証拠がない。

以上の(1)ないし(3)、(5)及び(6)の各事実を総合し、かつ、原告春夫に対する(二)(8)及び同(二)後段の各事実を合せ考えれば、原告は、被告主張のとおり、事件後反省の態度なく、原告春夫とともに、もしくは単独で、全く虚偽の事実ないし故意にわい曲誇張した事実を生徒父兄部落民及びその他の者に発表宣伝し、いたずらに父兄及び部落民を刺戟し、自ら教員としての信頼を失つたばかりでなく、学校職員全体に対する信頼感を失わせ、その結果学校教育を相当長期間にわたり混乱状態におとし入れたものといわなければならない。

(四)  学級担任者としての責任を果さなかつたとの点

原告春夫に対する(三)(3)のとおり、同原告とともに、修学旅行中の生徒の保護管理に当を欠き、引率者としての責任を尽さなかつた事実が認められるが、家庭で許可しない担任生徒を無理に修学旅行に引率し、学級担任者としての責を果さなかつたとの被告主張事実を認めるに足る確たる証拠はない。

(五)  原告が、前記札幌市での平和反戦大演説会への出席の経緯につき、監督者に虚偽の回答をしたとの被告主張事実は、これを認めるに足る適確な証拠がない。

(六)  結論

以上の(一)ないし(五)の各事由を総合して考えると、原告は教職に必要な適格性を欠くものと認めるのが相当であるから、原告に対する本件免職処分は、処分事由の点において何等違法はない。

第二、前顕乙第八号証(竹内啓の供述録取部分)、証人竹内啓の証言により成立を認める乙第十四号証の一、二、に証人土屋文男、竹内啓、黒島弘文、池田清五郎の各証言及び原告両名に対する各本人尋問の結果を合せ考えると、事件後の前後策を話合うため、同年六月二十三日学校側、原処分者側、中標津町役場側及び道教職員組合側の各関係者が会して行つたいわゆる四者会談において、原処分者から同年七月末日までに辞職するよう勧告を受けたのに対し、原告等は終始これを拒否したが、校長より、同人の責任において遅くも同年八月十五日迄に原告等をして退職させ、その上で自らも退職する、右が実現不可能なときは、原処分者の処分に委ねる旨申出があり同人名義の退職願(乙第十四号証の一)及び誓約書(同号証の二)を原処分者に差入れたこと、原告等は校長の右申出に反対しつつも、終始同席し又別室で校長と協議するなど、この間の事情を知悉していたこと及び右四者会談以前にも、原告等は事件後しばしば教員としての不適格性を理由に原処分者から辞職勧告をうけていたことをそれぞれ認めることができるが、被告において主張する、原処分者が四者会談において、原告等に辞職勧告と同時に免職処分の予告をした事実ないし、原告等自身が校長を通じて原処分者に退職を申出た事実は、いずれも認めるに足る証拠がない。しかし、右認定のような場合、原告等としては、辞職勧告理由の性質、校長の四者会談での前記申出の内容その他前後の事情から、同人らが前記八月十五日まで退職しないときは、当然免職処分に付されるであろうことを予見できたものというべく、正式に解雇予告がなされた場合と実質上同様に考えることができるから、前記六月二十三日から三十日の経過後に原告等を免職処分に付するのに改めて予告をする必要は必ずしもないと解するのが相当である。又、実質上予告があつたと同様に考え得る以上、労働基準法第二十条所定の解雇予告除外事由の認定手続を必要としないことはいうまでもない。従つて、本件免職処分にはこの点における違法はない。

第三、原告等がいずれも中標津町公立学校教員であり、従つて北海道職員でないことは被告主張のとおりであるが、当時教育委員会法の規定により、原処分者北海道教育委員会が原告等に対する任命権を有したのであるから、原処分者が当時原告等を地方公務員法第二十八条第一項所定の事由で不利益処分に付するにあたつては、北海道条例昭和二十七年第六十号北海道職員の分限についての手続及び効果に関する条例の適用があつたものと解するのが相当である。従つて、原処分者は原告等が教職に必要な適格性を欠くことを理由に同法同条第一項第三号により原告等を本件免職処分に付するにあたり、同条例第二条第三項所定の転任措置、即ち、原告等をして、原処分者の任命権が及ぶところの北海道内の道もしくは市町村公立学校又はその他の教育機関の職員に転任させる措置をとらねばならないわけであるが、前顕乙第七号証(野村義彦の供述録取部分)によれば、原処分者は、処分事由の一半が原告等において部落民の信頼感を失つた点にあることを考え、原告等が道内の他の地に転じ其処で反省して教職にはげむならば同人等を免職処分にしなくとも済むのではないかとも考え、同年八月上旬原告等に転任を勧めたが、同人等においてこれを拒否したため止むなく本件処分に及んだものであることが認められるから、本件処分にはこの点の違法はないものといわねばならない。

以上のとおり、被告の原告等に対する各判定処分はいずれも正当であつて、原告等の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の点につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 橋本金弥 有重保 桜井敏雄)

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